山田裕貴の父親は元プロ野球選手の山田和利で年棒がやばい!若い頃がそっくり!画像あり

数多くのドラマや映画、舞台などで活躍する、今人気の若手俳優、山田裕貴(32歳)。

ワタナベエンターテインメント所属で、俳優集団D2およびD-BOYSのメンバーでもある。

テレビドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』のジョー・ギブケン / ゴーカイブルー役で俳優デビューした。

今回は山田裕貴の父親について検証する。

山田裕貴の父親について

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山田裕貴の父親について早速みていこう。

 

誰?→名前は山田和利でコーチを経て現在は野球解説者として活躍!監督にはなっていない!画像あり

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山田裕貴の父親は、中日ドラゴンズや広島東洋カープにて内野手として活躍した元プロ野球選手の山田和利(58歳)。

山田和利は1997年よりコーチに転身し、二軍打撃コーチに就任する。

1998年は一軍内野守備・走塁コーチ、1999年から2001年にかけては一軍打撃コーチを務める。

2002年と2003年は二軍内野守備・走塁コーチ、2004年は二軍野手総合チーフコーチを歴任し、2005年からは中日のフロント入りとなった。

2011年は在籍経験のあった広島の二軍守備・走塁コーチを務め、2012年からは広島のフロントに入り球団編成を担当していた。

2015年からは4年ぶりの現場復帰で、再び広島の二軍守備・走塁コーチを2021年まで務めた。

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現在は野球解説者としても活動しているようだ。

 

元プロ野球選手!年棒は2000万円を超えていた

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プロ野球選手として活躍していた山田和利だが、その年俸はどのくらいだったのか。

山田和利が球界に初出場したのが1986年・21歳の頃。

その頃からの年俸を見てみよう。

年度 球団 年俸
1986年 中日   370万円
1987年   400万円
1988年   500万円
1990年   825万円
1991年 広島   920万円
1992年   900万円
1994年 2,070万円
1995年 2,070万円

8年間の通算成績は、366試合、865打数227安打、22本塁打、102打点、21盗塁、打率.262。

ちなみに当時の12球団平均年俸は、 1985年当時で978万円、1990年当時で1,527万円だったそう。

入団当時は平均より下回っているが、年々上昇し、引退時には2,000万円越えと、平均を上回ってる。

この結果は、ひとえに弛まぬ努力の賜物だろう。

 

出身は愛知県!高校は野球の名門・東邦高校へ

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山田和利は1965年6月3日生まれ、愛知県名古屋市中村区出身。

地元の豊正中から、野球の名門・東邦高校へ進学して甲子園を目指す。

しかし、当時は中京高校が好調で、1982年には春夏連続で出場し、それぞれ全国ベスト4を成し遂げた。

1982年夏は、県大会準決勝敗退。

同年秋に愛知県3位から東海大会ベスト8に残ったが、1983年のセンバツ出場を逃す。

それでも、100mを11秒台で走れる俊足と、主将を務めたキャプテンシーが評価された。

そして、1983年にドラフト4位で、地元球団の中日ドラゴンズから指名を受け入団。

チームではレギュラーには定着できなかったものの、1988年には立浪和義の控えではあるが、主に遊撃手として起用され、82試合に出場した。

 

顔は似てない?若い頃は似ている

山田裕貴と和利親子は似ているのだろうか?

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2023年の画像で比較してみると、あまり似ていないように見える。

それはSNSでも話題になっていた。

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では、同じ年代頃の画像で比較してみよう。

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こうしてみると、山田和利の若い頃の顔は、息子とどことなく似ているように見える。

とくに、逞しく男らしい眉毛と、鼻筋から口元に掛けてと、奥二重な目尻が似ているだろう。

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山田和利の若い頃は、ネット上でもイケメンで息子の裕貴と似ていると評判のようだ。

山田裕貴も年を重ねれば、父親の顔にもっと似てくるのかもしれない。

 

山田裕貴は父親に憧れ野球を目指すも父親とのレベルの違いに野球を諦める

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山田裕貴もプロ野球選手として活躍した父親の影響を受け、小・中学校までは野球をやっていた。

小学校3年生から父親に憧れて野球をスタートした山田裕貴。

父から野球をやれとは言われていないですけど、格好いいことをやっているなと思っていた」と、父親と同じプロ野球選手を目指していたそう。

しかし、中学で入部した硬式チームではレギュラーを獲ることは出来なかった。

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「プロ野球選手である父親のレベルから比べて、自分のレベルではプロ野球選手に離れない」、「体格、センスの違いを感じて無理だと諦めてしまった」とレベルの違いを感じていた事を明かした。

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そして中学で「父を超えるプロ野球選手にはなれない」と野球に見切りをつけたが、進学した高校は父の母校でもある愛知・東邦高校。

そこでバレーボールへと転向した。

「父と同じ高校に行くことでちょっとでも近づいたって思おうとしていたんですかね」とインタビューで語っていた。

それほど父親の事を尊敬していたのだろう。

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中学ではレギュラーになれず、挫折を味わった裕貴だが、2021年のInstagramでは、かなりの剛速球を投げていた。

最速142km/h投げるそう。

140km/hを投げれば『超高校級』と言われているので、なかなかの腕前と思われる。

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2013年8月10日、ナゴヤドームで始球式を行った山田裕貴。

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野球で挫折した自分を、俳優として生きることで許されたような気持になったのだろうか。

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また山田裕貴は「父親が自分の出演作を見に行ってくれている。道は違えど、父親が自分のことをプロとして認めてくれている。それが俳優としての原動力になっている」と、映画業界関係者に語っていたそうだ。

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もしも父親がもっと早くこのアドバイスをしていたら、今頃裕貴も俳優ではなく、プロ野球選手として活躍していたかもしれない。

 

山田裕貴の活躍を支えた父親の名言がかっこいい!

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2021年5月7日に放送された『A-Studio+』に出演した際には、母校である野球の名門、東邦高校を訪れ、当時の担任や同級生らに取材。

プロ野球選手だった父親の影響で野球を始めるも中学で挫折した山田裕貴が、「同級生たちが甲子園に出場し活躍する姿を応援席で見て、自分の情けなさに涙を流した」というエピソードや、「同級生たちの活躍が、自身が頑張る上での糧となった」と語った。

高校3年生の時、自分の通っていた東邦高校の野球部が甲子園に出場した時のこと。

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諦めずに頑張ってきた父親の言葉に感銘を受け、それは山田裕貴の人生の道標となっているのだろう。

今の山田裕貴があるのは、やはり父親のおかげなのだろう。

 

父親・山田和利は山田裕貴のファン!

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野球で挫折を味わい、俳優業で頑張っている山田裕貴。

父親にはほめられたことがないというが、実は父親は息子の大ファンなのだそう。

2021年12月4日放送『人生最高レストラン』では、山田裕貴の妹が「あまり褒める父ではないが、『裕貴はよくやっている』『俺には出来ないことだから凄い』と前に言っていた」と語った。

妹によると、山田裕貴が出ている映画やドラマは必ずチェックしている、映画館に張り出された大きなポスターを見て、『大きく名前載ってるね』と嬉しそうにしていたそう。

その妹からのエピソードが読み上げられると、山田裕貴は「ヤバいっすね。ちょうど今年は『今年の顔』ってのに選んでもらって、自分がより頑張らなきゃいけないとか、凄い色々思った年だったのできますね。」と涙を浮かべていた。

山田裕貴と父親の和利の関係は、子供の頃からあまり会話が出来ず、遠い存在だったそう。

プロ野球選手として活躍していた事もあり、かなり忙しかったのではないだろうか。

野球選手である父親とはキャッチボールもしたことがなかったらしく、そんな父親から褒められたことが相当嬉しかったのだろう。

父親の和利は、子供の頃はあまりかまってあげられなかった分、今、俳優として頑張っている息子を心から応援しているようだ。

 

山田裕貴の母親は一般人!息子全力で応援していた!

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山田裕貴の母親については、元プロ野球選手である父親とは違い、一般人の為、ほとんど情報がなかった。

しかし、数少ない情報から、母親も俳優として頑張っている息子の裕貴を全力で応援しているというエピソードが。

2014年、山田裕貴の初主演となる映画『ライブ』を鑑賞し、約3年で主演を務めたことを褒め称えていたそう。

また、山田裕貴が出演する地元のイベントには必ず足を運ぶそう。

さらに、2014年に出演した映画『ホットロード』は、父親・母親・妹の家族で鑑賞していたそう。

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家族全員が 裕貴の事を理解し、応援しているようだ。

家族揃って山田裕貴の映画を鑑賞するなど、家族仲は良好なようだ。

 

山田裕貴の妹は山田麻生でモデルで仲良し

山田裕貴には2歳年下の妹がいる。

2022年3月から『STANFORD』事務所に所属し、モデルや『たからばこ』というタイトルで、アート作家として活動している山田麻生(やまだまい・30歳)。

山田麻生は2014年頃にモデルを目指し上京。

今は実家で暮らしており、ドライフラワーショップで働きながらモデルとして活動している。

山田裕貴の妹として『情熱大陸』『Aーstudio』『おしゃれイズム』に出演した。

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山田裕貴は妹の麻生の一言がきっかけで芸能界入りしたのだそう。

プロ野球選手を諦め、将来に悩んでいた兄に、「オーディション受けてみたら?」と、『ワタナベエンターテインメント』のオーディションを勧めたそう。

山田裕貴はその一言を切っ掛けにオーディションを受け、見事合格し、芸能界入りを果たした。

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妹は兄の 山田裕貴の事を「裕くん」と呼び、裕貴は自身のSNSに妹の麻生の事を投稿したり、とても仲が良いそう。

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2021年9月18日には、31歳になった裕貴にメッセージを当てた。

また、山田裕貴が久し振りに麻生に会ったら、ヘアカラーが変わっていた事を自身のSNSに投稿。

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コメントを読めば、兄弟仲が良い事がうかがえる。

2019年10月6日 に山田裕貴が『おしゃれイズム』に出演した際には、妹との2ショットを公開している。

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兄妹で面白フィルターを使っているのも仲が良さそうだ。

2021年12月13日放送ラジオ番組『菅田将暉のオールナイトニッポン』に出演した際には、「お兄ちゃん、お小遣い頂戴」と妹から度々言われると裕貴が語った。

度々という事は、それだけお小遣いを上げていたからだろう。

妹に甘えられると断れないようだ。

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また妹の麻生が泊まりに来ることがあるとSNSの投稿。

内容から見ても兄妹仲の良いほほえましい光景が浮かんでくる。

 

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